2007年5月4日金曜日

Resuem: 日本人の「数学感覚・数学文化」について

作成中
レジュメ (May 4, 2007)
 
渡辺 信 著 : 日本人の「数学感覚・数学文化」について
「海―自然と文化」 東海大学紀要海洋学部 第2巻第1号 41-47頁 (2004)
http://www2.scc.u-tokai.ac.jp/www3/kiyou/pdf/2004vol2_1/watanabe.PDF
 
 
論文の目次・章立ては以下のようになっている。

  1. 数学文化の問題点―問題の所在から
  2. 「数量」から「数学感覚・数学文化」を考える
  3. 「形」から「数学感覚・数学文化」を考える
  4. 「方法」から「数学感覚・数学文化」を考える
  5. 「ことば」から「数学感覚・数学文化」を考える
  6. 「数学感覚・数学文化」と数学教育の地域性
  7. 数学文化は世界の文化を分ける
 
 
1.数学文化の問題点―問題の所在から
 
「数学=普遍的な学問」であることは認めながらも、「数学感覚・数学文化」の根底をなす数学的思考の基盤は、各々人々が生きる自分自身の文化の中で規定されている、と筆者は言う。そしてそれが原因で、「数学嫌い」など、現代にさまざまな問題点を引き起こしているのではないだろうかと考える。
教育の現場において、数学理解のための足場をどこに設定すればよいか分からないという日本の現状を踏まえ、もう一度、個別の文化によって規定された「数学感覚・数学文化」を「数量」「形」「方法」「ことば」といった各視点から考えてみようというのがこの論文のテーマである。
 
 
2.「数量」から「数学感覚・数学文化」を考える
 

  • アメリカのコーラ缶 → 12oz と明記。(=352ml)
  • 初めて日本に輸入されたコーラ缶 → 250ml (250という数値は日本人にふさわしいと考えた数量として日本独自の缶ジュースを売り出した)
  • 牛乳ビン180ccが生き続ける日本では、この缶ジュースの輸入の時点でも180という数値にこだわった!?
  • 現在の350という数値は、アメリカの缶ジュースの大きさに影響されているのだろう。
  • なぜ、2ml少ないのか? → 端数を嫌う日本人にとって352mlは快くないのではないか。 それで350mlになった!?
  • ドイツのコーラ缶 → 330ml
  • オーストリアのコーラ缶 → 0.33l
  • 社会によって缶の大きさがが違うのはなぜか?
  • 「端数の嫌いな「数学感覚・数学文化」は日本人のもつ明確な数学」か? 「日本文化は端数を切り捨てることによって、数値の上にも数学的な美しさをもとめている」のか?

     
 
 

3.「形」から「数学感覚・数学文化」を考える
 

  • ここでは、長方形の数学文化(アメリカの数学感覚・数学文化)と正方形を好む数学文化(日本の数学感覚・数学文化)に注目している。
  • 日本人の好みの形 ― 正方形 (例えば、日本人の住居:4畳半・8畳といった正方形の日本間)
  • アメリカ人の好みの形 ― 1:(1+√5)/2の長方形 (黄金分割)
  • 伝統的な日本文化の中で育った人は黄金分割に美しいという感覚を持ち合わせていない。
  • 学校教育を通して数学的な訓練がなされていくことによって、数学の世界の中の事柄としての美しさを感じることができるかもしれない。
  • しかし、数学的な訓練をうけていない一般の人々には残念ながら美しさのない数学を語ることになってしまう。
  • よって、このような心を失っている数学を受け入れることは、自らの「数学感覚・数学文化」とは一致できないために非常に難しい数学を学ぶことになってしまう。
  • この「長方形」「正方形」という形のほかに、この視点を対称性に置くことによって「数学感覚・数学文化」を眺めることもできるだろう。
 
 
4.「方法」から「数学感覚・数学文化」を考える
 

  • 引くことを重んじる「数学感覚・数学文化」(日本)と加えることが中心の文化圏(アメリカなど)
  • 「鶴亀算」の解き方に見る日本とアメリカの「数学感覚・数学文化」
      
     
 
 
5.「ことば」から「数学感覚・数学文化」を考える
 

  • 言葉の豊かさはその文化の中にある「数学感覚・数学文化」に大きな影響を持っていることに間違いない!
  • 分数を読む方法: 1/4は日本では「4分の1」、アメリカでは日本と同じ読み方に加え、「quarter」という独自の「ことば」を持つ。
  • 小数を読む方法: アメリカでは小数点以下の数字をそのまま読む方法しかない。日本では割・分・厘・毛といった「ことば」を持つ。
  • 日本社会の中では分数表示が使われることは少ない。→日本は分数が使われない「数学感覚・数学文化」社会
  
      
      参照:「北欧で見た数・量・形」
  
  

6.「数学感覚・数学文化」と数学教育の地域性
 

  • 数学的思考の根源は民族が持つ「数学感覚・数学文化」に依存している。
  • この思考の基盤の変化は短時間では不可能。
  • 数学的な思考が「数学感覚・数学文化」に依存するならば、普遍的な数学はその「数学感覚・数学文化」に基づいた「ことば」「こころ」によって表現し受け止められる。
  • 数学の普遍性を強調するあまり、日本の「数学感覚・数学文化」に翻訳することを忘れている。
  • 数学 → 普遍性を特色とするもの。 数学教育 → 民族が持つ「数学感覚・数学文化」によって規定される。
  • 数学の学力は世界トップクラスだが、数学が好きになれないのは、日本の「数学感覚・数学文化」が普遍的な数学を考える基盤になっていないから。
  • 世界が狭まり多くの事柄が影響しあう現在、各々の社会が持つ「数学感覚・数学文化」を尊重し、考える基盤として数学教育を確立することが重要。
  • 日本が持っている「数学感覚・数学文化」と、日本人を対象とした数学教育がより密接に関連しあうことが、「数学嫌い」解消につながる。
  • 数学教育 → 普遍性も持つ学問ではなく、地域に根ざした学問形態。
  • 出来上がってしまった数学の体系 → 日本の「数学感覚・数学文化」に翻訳 → 再度普遍化に戻る活動教育
  • 普遍的な数学をその社会が持つ「数学感覚・数学文化」への翻訳活動こそ、数学教育の重要な課題である。
 
 
7.数学文化は世界の文化を分ける
 

  • 「数学感覚・数学文化」の根底がどこから生じているかは、その民族性であり発生の根底は民族を作り出す「人」に依存する。
  • 西洋の数学の特色 → 「幾何学」。 中国の人々の態度 → 「代数学」を形成したと言える。
  • 西洋の数学文化は図形的な色彩が強い。
  • 図形を作り出すことは西洋の活動では随所に見られる。ex. 夜の天体は星々を結びつけて図形を作り出している。
  • 図を用いて説明することは西洋の特色でもある。
  • 各社会が持つ「数学感覚・数学文化」の違いが最近ではすべてを統一する方向で進み、民族間の「数学感覚・数学文化」の差を解消するかのごとくに進んでいるが、おそらく短期間では、世界全体が共通した「数学感覚・数学文化」を持つことは不可能。
  • 世界のグローバルがなされても、この「数学感覚・数学文化」の違いを認め、その違いから民族の文化を説明するとともに、共存する可能性を見つけ出すことが必要である。
 
 

0 件のコメント: